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わたしのソファー

子どもが動物をいじめるとき


陰惨な事件が起こる予兆として動物の虐待された死体が見つかったり、動物への虐待が少年犯罪・DV・幼児虐待などと関連付けれらることは常識になっている。
自然や社会環境の悪化によりまっさきに被害を受けるのは動物や子どもであるが、その悪化した環境の中でどのようにして犯罪や虐待の連鎖を断つべく子どもを教育していくかということが、親だけではなく大人すべての責任だと改めて痛感させられた。
日本では神戸殺傷事件があったが、殺人者は殺人する前に動物も虐待死させていた。昨年、殺人者は手記を出版したが、その本を置かないという書店もあり大きな批判にさらされていた。
世界は無菌状態にはできない。殺人犯の手記を読んだとき、いじめられている動物を見たとき、人が苦しんでいるとき、子どもがどう感じるかどう行動するかはすべて大人の鏡であると感じた。

自分の小さいころの強烈な記憶のひとつが蘇り、途中苦しくなってしまった。私は鳥を飼っていた。生まれて初めてのペットだった。ある日、幼い私を連れて母は実家のある田舎に数日間帰った。そのあと東京の自宅に戻った私は、大事な鳥を探した。鳥かごもなくなっていた。母を見るとバツの悪そうな気の毒そうな顔をしていた。父を見るとつまらなそうにそっぽを向いていた。
幼い私はそのことに対して何も言葉を発しなかった。ただただ哀しかった。
そのとき一人自宅にいる父は鳥の世話を一切せず死なせてしまったのだろう。そして母は出かけるときに鳥の世話をお願いできなかったのだろう。そこには男尊女卑的な大きな遠慮があったのだろう。たぶん母は、鳥は死んでしまうかもしれないと分かっていいたのかもしれない。そのことを思い出す大人になった私は、両親を責める気持など一粒も持たず、ただただ鳥が感じた苦しみを哀しく思うだけである。

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by umih1 | 2016-02-11 12:00 | | Comments(0)
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