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わたしのソファー

心の深みへ


身体が疲れていると気がついたときは心も疲れていて、
心が摩耗してしまって気力のないときは身体の存在を忘れている。
それでも身体の電気は切れることなく死ぬまで生きるために生きている。
河合先生は云う
「死を前提にして人間の一生を見るということを人々は忘れ過ぎているんですね。」
柳田さんは云う「死を前提としてどう生きるかどういう軌跡を残すか」
柳田さんの「サクリファイスー犠牲」を読んだときはどれほどに苦しみこれをお書きになったのだろうかと辛くなった。読めば誰でもそうだろう。
なぜ自分の息子が死ななきゃならないのか― 自死をして脳死して・・・そういう事柄ではなく、子供・自分・家族の歴史の中で、無数の無秩序の星の中からいくつかをつなぎ星座を作っていくように物語を作っていかなければなりませんという、柳田さんの言葉に頷いた。
人はみな、それぞれの物語が必要でそこからまた自分がどう生きていくか、さまざまな形で見つけたり諦めたり。

キューブラー・ロスの話がきけて良かった、本当にスッキリした。
「死ぬ瞬間」で有名な彼女が実際自分の死に臨んでみて、自分の考えを否定しているというニュースに耳を疑ったきり数十年経って、それがいまこの対談(10年前だが)でどういうことかよくわかった。

「仏教というのは関係性から出発している。 私 というのはない。
私 はないけれどもあらゆる関係性の中で私が存在しているかのごとく見えると。時々刻々変わっていく中で自分と周囲の人との関係が、いまはこうでもしばらく経ったら別の形になるかもしれない。それでもすべてがずっと関係しながら動いている。」
河合先生の言葉がすうっと胸に入っていく。
そうだなあ、明日からもまた・・・そういう気持ちを忘れないように生活していこうと思う。

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Commented by Gabrielle at 2013-07-16 23:23 x
さっき、お昼に残り物のフォーを啜りながら、思いついたんだけどさ、自己表現て、大げさなことではなくて、自分の人生、誰も代わりに生きることのできない自分の人生を、毎日頭抱えたり、喜んだりいろいろしながら、本人なりに一日一日頑張って生きていくことかなと。毎日の小さい、今トイレに行くか、5分後にするかとかのどーでもいい判断も混じえて、いろいろの決断というシナリオを自分で作って、共演者を決めて、演出決めて、いつか幕が降りるまでを生きていく、長ーい本気の時に気を抜いた毎日が究極の自己表現かなって。河合さん、柳田さんというスゴイ組み合わせの本、柳田さんの息子さんの死も彼の最期の自己表現だったにかなと思う。よかったら、エレン. ・ウエストでググってみて。彼女の最期も自己表現であった様に思う。結局それぞれの人生はそに人しか生きられないによね。長くて失礼しました。
Commented by umi at 2013-07-17 21:11 x
Gabrielleさん
あらぁ長いコメント嬉しいよ。
自分が生きていくこと自体がまるごと自己表現だという考え、ごもっともです。日常の自己表現が重なりいつか老衰か病気で死んでいく。”わたしなんかなんの役にもたたない”という言葉を聞くと、河合先生は”生きてるだけで凄いことなんだよ!”とおっしゃる。
人の一生の価値は、長い短いだけでは測れないし、死に方なんか関係あるわけないよね。
でもずっとずっと長い間、自殺ということを考えると混乱しちゃってね、肉親を自殺で亡くした時は堪えたし、頂いた命を自ら断つなんてとんでもない罪だと思ったりしてね。その罪は代わりに私が償うことはできないだろうか、なんてね。
苦しみや痛みを乗り越えた後の死というのは、自殺も同じ意味なんだろうな。柳田さんの息子さんの死は、ガブさんの云う通り、これしか選べないという自己の表現だったと思う。
詩人の金子みすずさんや、チベットの焼身自殺するお坊さんも同じなんだよね、自己表現という意味では。

Commented by umi at 2013-07-17 21:21 x
エレン・ウェストさんのこと調べた。精神科医の論文を読んで、その行間にある彼女の苦悩が垣間見えたけれど、最終的にはそうするしかなかったのだろうね。誰にも救えない、自分を救うのは自分だという表現かな。

キューブラーロスのところでは、彼女の言葉を引き合いに出していたよ、印象に残ったのが、「苦痛を通じて死んでいくことに意味があるとしたら、苦痛を奪っていいものだろうか」
緩和ケアは必要だけれど、最後の教訓を学ぶ機会を、患者から奪ってはいけないのではないかと。
私の祖母は、身体はそうとう弱っていたけど、ボケも進んでいたけど、老衰だったな。こんこんと寝続け、静かに心臓が止まったらしい。まったく苦しまなかった。その死に方を見て、神様仏様に感謝したよ。すごい苦労人だったから。ばあちゃんらしい、死に方だったなあ。




Commented by Gabrielle at 2013-07-18 21:27 x
エレン・ウェストはきっと「最期の日」を決めたことで、自分に残された日々が明確に意味を持って、そこを生きる自分もきちんと自覚できたんだと思う。
ゴールがわかってると人間頑張れるよねぇ(笑)...。
それがわからないけど、とりあえず日々を生きている私たちは、むやみに堕落する必要もないけど、むやみに高みを目指して自分を叱咤激励することもないんじゃないかと思いますです。
なんか、いつもモデルを探して、それに自分をあわせようともがくのって、疲れるし、そのために生まれてきたわけでもない気がするのよ。大体モデルってなんだい??
今の時代に「よし」とされているものって誰の判断によるものよ?と天邪鬼な私は思うのよ。
自分の幸せはなんなんだろ?ときちんと自分にきいてみたらと。
そこがポイントなんじゃなかろーか。
ラニはそこのとこ、よくわかってて、気持ちよさそうに、ごく自然に床で行き倒れているよね(笑)。うみさんのハイボールもね。
最期に「私、これまで結構頑張ったからもういいかなっ」て自然に思える生き方をしたいものだと思いますです。
またまた長くてしつれいしました。

Commented by umih1 at 2013-07-18 22:26
がぶりえるさん
エレンさんはなくなる前に、過食と拒食に苦しんできて始めて満足な食事の量を採った後に自死したと記録にあったけど、見事だなぁと思った。自殺礼賛する訳ではないけど、そういう次元じゃないよね。
日常は好きなことばかりは出来ないけど、折り合いをつけて楽しみな事を楽しんで、少し人に親切にして生きていけばいいよね。
他人の目には自分はどう映っているんだろうと、若い頃は気になって、自意識過剰になってしまって大変だったなぁと思う。
いまは自分は自分と思うし、気の合わない人がいるのは当たり前だし、結局自意識過剰って、他人に感心がないことなんだね。
だから人との距離の取り方が下手くそで、毎日こんなに疲れるのはなぜかなぁと、若い頃はわからなかったおバカさんでしたよ。
流行り廃り関係なく、身の丈にあった幸せを感じて生きて死ねればいいねぇ。
しかし、最低限の銭は必要だわねー(b_d)
あー酒酒~
by umih1 | 2013-07-15 16:23 | | Comments(5)
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