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わたしのソファー

空海


世界的思想としての密教

中沢新一さんの「最後の空海、未来の空海」
インタビュー記事が面白かった。
空海の学んだ密教が密教思想全体の中でどういう位置にあり特質を持っているかということを、チベット密教思想の最終的な帰結にまで発達させていった流れのかなに位置づけ考えるという。
空海の密教はレベル付けすれば中期密教といわれるものだが、実際に言葉に表現したものだけに閉じ込めてしまうとその意味するところは見えなくなってしまう。それを推測するには、自分のことを最後まで「沙門」と言っていることの意味を考える。
そこから都市型仏教と都市以外に向かう仏教のことなどに言及は続く。
単一原理によってすべてを理解しつくそうとする知の欲望ではなく、中間の思想である仏教思想こそ・・・

中村元先生の真言密教の比較思想史的考察も面白かった。
「普遍宗教が民衆のものとして広がるためには呪術的要素を採用せざるを得なかった・・・・」
空海も最澄も、偉い人から「幽霊怖いから御祓いしてね」とお願いされたという記述を思い出した。
権力争いとか多かったし、現代とは違って電気がないから暗かったし、そうなるといろいろ怖い思いもしたのだろう。

 われわれは現にあるがままですでに悟りを開いている・・・本覚思想
本覚・・・本来さとっている

私の父の戒名には、本覚という文字がある。父は真言宗のお墓に入っている。本覚とは、仏様になり本来の姿になったという意味を感じていたが、空海の思想では、六つの普遍的な元素(地、水・火・風・空・識)は、大日如来の宇宙的な身体のさとりの内実にほかならない、ゆえに六つの普遍的な元素をもつ人間はあるがままですでに悟りをひらいているという。
空海は現実肯定の論理を、いきつくところまで行かせたということである。
でも究極の現実肯定の思想は、一般的に受け入れられたものなのだろうか?

宇宙そのものである仏は(真言宗では宇宙唯一の仏は大日如来だが)、人間の姿になりゴータマシッダールタとして人間の前に顕在し仏教の礎となり、ある時は阿弥陀仏になり千十観音になり不動明王になり、あなたになり私になり、、、

幸田露伴や南方熊楠の空海論も載っていた。


* 父の戒名に”本覚”という文字があると思っていましたが、”正覚”でした。
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Commented by sarakosara at 2013-03-24 23:24
ちょっと記事の本論からはずれてしまうし、すごく乱暴な解釈なのかもしれないけれど、小さな頃からお仏壇の前、祖母の傍らでお経をきき、手を合わせ、小学校からキリスト教の学校に通っていた私には、ある時から私を越えた大きな存在がひとつになっていました。
それは人知をこえた大きな存在であり、愛情であり、普遍であり。
これは今も私の大きなテーマなのかもしれないけれど、ひとつ確かなのは、それが日々の拠り所であるということです。
Commented by umih1 at 2013-03-25 21:40
sarakosaraさん
大きな存在がひとつになる、それは愛情であり普遍であり・・・
実は私もまったく同感です。
宗教は、文化や土地の自然の違いにより、大きな存在が姿を変えたものであるとおもっています。行きつく先はひとつだと強く感じます。
日本は昔から草木にも神が宿るアミニズムですが、諸外国でもアミニズムが残っているところがあり、神話などの物語をひもといても、いろいろな国々と思想や表現がシンクロしています。そういうことを思うと、あなたにもわたしにも、実は同じ仏や神が宿り、代えて言うなら大きな存在があらゆる姿を投影したり、存在としてここにあるのだとも思います。
稚拙で楽天的な考えかなぁと思いますが、もとは同じということに気がついたとき、本当の平和がくるのかなと感じるのです。
日本の大乗仏教にはまっていて、本を読むのが楽しくてしかたないのですが、そこから外に向けて興味がひろがっています。
いつか聖書も理解できたらいいなあと思ってます。
Commented by umih1 at 2013-03-25 21:40
それが日々のより所であるということ・・・はっきり断言できるさらこさんは素敵です。だってそれが一番ですものね。
わたしは若いころ、そういう考えは頭でわかっていても、心で理解できませんでした。もっと早く気がついていれば・・・と後悔することが多いですが、もう自分を責めることはやめて、認めて愛することを少しずつしていけるようになったのです。
なんか話が脱線しましたねー・・・
こういうことって面と向かって話をする場面がないのでついつい^^


Commented at 2013-03-26 21:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by umih1 at 2013-03-26 22:09
ガブさん
ふふ(^_^) なるほどね。
自身をゆだねる感じなのかな。
身を任せた時の彼方に、深い理解が得られるのね。
何かに帰依したい、わたしも。
何に?と言われたらまだわからないな。
勉強中でーすっていうかなあ。
でもほんとは、どうしますか?って聞いてくる場面がないからかもと思う。
話しがズレちゃうんだけど、
Google earthをみてたら眩暈がして、
強烈な畏れを感じて汗かいたの。
こうやって死んだら上に上がってくんだなーと。
大きな存在に近づいたようなへんな錯覚だった。変人だよね。。

Commented by おやスケ at 2013-03-27 00:04 x
うちの両親のお寺も真言宗智山派です。派によっていろいろあるようですが、智山派は、成田山新勝寺もそうです。父母の葬儀を行った寺は、新勝寺の兄弟のような寺です。空海の本、興味深いですね。仏教の記事の後、ブラの話↑になるのがまた面白いですね~(笑)。
Commented by pikeflower at 2013-03-27 14:01
<もとは同じということに気がついたとき、本当の平和がくるのかなと感じるのです。

まったくそのとおりだと思います、umiさん。
わたしは宗教はあまりよくわかりませんが、
バッチフラワーレメディの研究者であり病理学者のE・バッチの本を読んで医学も宗教も神秘学も宇宙をとりまくすべてのものが、根幹は同じなんだなと。
レメディもそうだけど、統合(ユニティ)がすべての共通の目標なのよね。
そう思ったら、なんだか楽しくなってきた。天使もヨガももとの考え方は同じ。
家族の病気や夫の仕事のことで、しあわせに生きるって難しいなあって、思ってきたけど、(まぁそうですけど)そうか、恐れを小まめに手放していくこと、そして神様からもらった自分の使命に気づいて、実現しながら生きることがしあわせへの道か、とようやく気づいたこのごろなのです。
Commented by umi at 2013-03-28 20:59 x
おやスケさん
山形の祖母と母のお寺は、浄土宗なんです。
法然上人です。御本尊は阿弥陀様。なーんまーんだぶーです。
空海さんはやっぱ凄い・・でもマンダラ思想は中期密教だっていうけど、後期密教はもっと通り抜け、いたってシンプルになってるらしいです。チベットあたりでは。
でも、最澄さんもすごいですよね。
で、ブラの話にいくという(笑)、生きるとは何でもアリです。
ブラだって、大きな存在の投影なのです(笑)。
Commented by umi at 2013-03-28 21:15 x
pikeflowerさん
バッチさんの思想は、もっともだと思います。
植物の力を知っている人は(ピケさんも)、そういう感じ方をする人が多いですよね。ていうか、そう分かっているから植物の言葉が分かるんだろうなと思う。でなきゃ、この植物はこれに効くとかわからないものね。いくら実験とかしても、ベースになる思想がなければ(愛ともいう)、植物は何も語ってくれませんよねきっと。
ヨガはもともと哲学からきたもので、きっとそういう思想がベースにあったと思う。
Commented by umi at 2013-03-28 21:18 x
pikeさん つづきです。
天使ももちろん根源は同じですよね。以前、天使は概念だとコメレスしたことがありましたが、その概念って、人々の無意識下に大きな根源が投影されて、共通認識されているものという意味です。だからもちろん、天使もいますよね。
ご家族の問題、病気などの悩みは人間ならだれしもが持つものですよね。わかっていても直面した時の辛さは個人個人で体験するしかなく、ぴけさんの言うようにそういう辛さを少しでも手放してくことが大切なんですね・・
でもでも、そういう悩みは手放しても手放しても心に巣食うものです。
無理してポジティブになる必要もないです。
そういう時はポノポノするか、諦めるしかないです。
諦めるってのは、仏教では「明らかにする」というような意味なんですが、
明らかにどうしようもないものだということが分かった。いまはただ、ゆだねよう。という気持ちになれば少しは楽になるかもしれません。
一方的なことをズラズラ書いてしまったけど、ぴけさん、あんまり落ち込まないでね。
Commented by pikeflower at 2013-03-29 11:00
<そういう時はポノポノするか、諦めるしかないです

ある日本のバッチ研究家の本をよんだとき、とても印象深い文があったの。

つらいことも味わう、
楽しいことだけじゃなく、あまりにつらいなぁと思うことも同じように味わいつくすことが本当の学びだよということ。
確かにその通りだなぁとしみじみ思うよ。受け止められずかんしゃくおこしたり逃避したり誤魔化したりすることは、レメディが必要なくらいしてはいけないことなんだと。
神性というか魂に導かれたものだから、受け止め、ゆっくり味わい、いつかそれを楽しむ!(ぁぁこれができるようになりたい)こと、そしてできる部分で自分に縁の深い人やものを手助けすることが、本当に生きるということなんだと。

やや落ち込むことはあるけれど、今は2年前より強くなったような気がするよ。
たぶん、レメディから受けた気づきと恐れを手放してくれる天使と、まわりの人の愛のおかげだろうね。
Commented by umih1 at 2013-03-29 20:00
pikeflowerさん
そうかあ、良かったね。
結局、自分が変わるしかないのよね。
打ちのめされても、人って生きてくしかないものね。

ふっと気を緩めて周りを見渡すと、
優しさとか笑いとかがそちらこちらにあって、
はっとすることがある。
見方を変えれば、自分の笑顔や思いやりが、もしかしたら誰かのこころを癒しているかもしれない。
そう思うと、それだけで嬉しいよね^^

いろいろ打ち明けてくれてありがとう。

by umih1 | 2013-03-24 21:31 | | Comments(12)
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