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わたしのソファー

感受性




あなたは誰?私はここにいる (集英社新書)

姜 尚中 / 集英社




3.11のあの時を経て、もうすぐ2011年が終わろうとしている。

「わたしたちは今、いったいどこにいるのか。」

この問いの答えを知る手がかりが、芸術作品の力にあるのではないか。
姜 尚中さんはそう考え、豊かでユニークな感受性で、わたしたちを導いてくれる。

以前聞いた、姜 尚中さんの話し方はとても柔らかだった。
在日というあり方や、生きることの意味に対する問いに苦悩した時に観た一つの絵が、
彼の心の琴線に深く触れる。

「生きるに値する意味や可能性を与えてくれるものがしっかりと固定されず、不安定で決定されない状態に置かれれば、それは不安と苦痛に満ち、吐き気を催すような”めまい”をもたらすに違いありません。」

あれこれ先のことを考えたりせず、今を生き抜くということにフォーカスすれば、精神的な病気や身体の不調もなくなるのだろう。だが人間という生き物に生まれてきたからには、今だけを考え生きることは難しい。
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Commented by gabrielleraphael at 2011-12-22 20:15
不安定で決定されない状態
先人達は、繰り返し、この状況を生き伸びてきたんじゃないかなと思います。
自分の人生の意義は外から決定されるものなのかな?
「人がなんと言おうとも、私はこれでいい」と思えたら、勝ちだよね。KYな、やなヤツって言われるかもしれないけどさ(笑)
Commented by sarakosara at 2011-12-22 23:48
私はきっとうみちゃんより、少し?^^長く生きているからか、
あまり先々を考えても仕方がかいかなと思うようになりました。
今がよければいい、というのとは違うけれど、
言葉を変えれば、ある意味の諦めかもしれない。
でもそれは後ろ向きな諦めじゃなく、人が生きていくうえでどうにもできないこともあるのじゃないかというような思い、さからわずに流されるのもいいかもしれないというような思いかもしれない。
でも、そう言いながらすべて身を任せるというまでの境地でもない、迷いながら生きているんだよね。
Commented by umih1 at 2011-12-23 20:59
Gabrielleさん
自分の人生の意義は、外から決定されるものではないよね。
環境や境遇は選べずとも、自分の心や意思は自分が思うことだからねぇ。
KYな奴って思われても、私のすべてを知っているわけではなく、結局人の評価なんて、屁みたいなもんだよね。
わたしはね、育ってきた環境が特異なものだったから、人の目や評価にとても脅えていたところがあったのよ。でもそのくせ、自分を守るために、そういう恐怖から逃れるために、ものすごい鈍感な部分もあったのね。
年を重ねてきて、だんだんそういう部分が薄れてきて、今は大丈夫になった。年とって良かったって思う。
死に際にはただ、ありがとう と思えたらいいな。
Commented by umih1 at 2011-12-23 21:11
sarakosaraさん
ある意味の諦め。
うん、諦めるっていう言葉は、仏教では、自分の願いを断ち切るという意味ではなく、ものごとの道理が明らかになった上の、納得しての「諦らめ」という意味なんですよね。前に釈迦の本を読んでいた時、そんな事が書いてありました。
要するに、執着しない、ということなんですよね。
sarakoさんのコメントを読んでいて、流れにさからわずsarasaraと流れ生きていく、これぞ、「諦め」、お釈迦さまが言いたかった道理なんだよな~と感じました。
そこに迷いがある、ということこそ生きるということで、醍醐味があるわけですよね~。
あぁ、スタバのカプチーノなんかより、ずっと深い味がするな~こういうの(笑)。
by umih1 | 2011-12-21 20:00 | | Comments(4)
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