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わたしのソファー

ホン・本・ほん



白洲正子「おとこ友達との会話」

久しぶりの白州正子さん。
中性的な人だ。
特に面白かったのは、養老孟司さん・多田富雄さんとの対話だった。
養老さんは昆虫好きで有名だが、パリに行っても街中には興味なく、お墓に行くという。
昆虫を探すため。
相当だなと思う。



ポール・オースター「幽霊たち」

好きな小説家である。前に読んだ“ムーン・パレス”でファンになった。
翻訳は、柴田元幸氏。
“本当”とか“真実”とは何であろうか。
いったい、どうしてそういう事を“ことば”にしてしまうと、ほど遠くなってしまうのだろう。
“ことば”は、自分だけのものではないから、共通の認識を得るための道具であるから、だから自分の思う真実と、ほど遠くなってしまうのであろうか。
自分のことを語る“ことば”を書き続けることは、ある意味では自分の人生と並行する別の人生を書き連ねるかのようである。
書く自分が真実ではなく、書かれる自分が真実になり、やがて書く自分は幽霊になってしまうのだ・・・
それを極端にあらわす話だった。
わたしは、そこのところを考えると、どうしても太宰治を思い浮かべてしまう。



デビー・フォード著「スピリチュアル・ディヴォース」

手にとって借りた時は興味本位でしかなかったが、読み始めるとやめられなくなる。
この人の別の本を、古本で手に入れる予定。
一番心に残ったのは、“円満な人格者であれ”というところ。
カール・ユングが述べた言葉「私は善人であるよりもむしろ、円満な人格者でありたい。」
人間として欠けたところのない、つまり円満な人格というのは、幸福で優しく思いやり溢れ、それと同時に怒りっぽく利己的で不平不満を持つ、というマイナス部分がなくてはならない。
威張っている人を見てとても不愉快になったとき、私にもそういう部分があるから不愉快になるというわけであり、そして、私はあんなふうじゃない、良かったあんなふうじゃなくてと思う。他の人を見て感じることのすべてが、いかに自分の内面を反映しているか。
自分自身にも威張りたい・威張っている、という部分があるという認識を持つ、つまり、自分自身のマイナス面を認識すれば、慈悲の心を受け入れる場所がでてくる、欠けた所のない円満な人格者になれるというわけだ。
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Commented by bunkasaba at 2011-02-11 22:14
相変わらず、読書家ですね。
視力が弱くなったせいか、図書館から借りた本もロクに読めずにいます・・・。
最近は、メガネ外して読むことが多いです。。。
Commented by umih1 at 2011-02-12 23:46
bunkasabaさん
いろんなことをしている合間に読んでいるので、読書はしんどくないです。むしろ、パソコンしてるほうがつかれてしまいます・・
私は眼精疲労が酷いので、蒸しタオルをつくって冷めてしまうまで目にのせます。すっきりして気持ちいいですよ。

by umih1 | 2011-02-11 18:24 | | Comments(2)
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