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わたしのソファー

白い椿



命のタペストリーの一部である私。
自分に恥ずかしくない生き方をして、その一部を飾りたい・・・



昨晩、教育テレビで、免疫学者の多田富雄さんの構想による、白洲正子さんをシテとする能舞台を観ました。
多田さんは哲学者の池田晶子さんとの対談もされていて、とても興味をもっている人です。文庫になった本を、昔読んだ記憶があります。最近エッセイを出版され、賞を受賞したそうです。養老先生がちらっと出演されて、この本の死のイメージに関してコメントされていました。
白洲さんとの共著もあることは知っていましたが、まさかここまでお能に精通している方だとは知りませんでした。そして、まさか白洲さんをシテ役にするという発想・・・とても驚きます。


「人間の細胞は、毎日何万と死んでゆく。そして新しい細胞が生まれる。それを日々繰り返し、だんだん死の比重が大きくなる。人は死と生の両方をもっている。」

「銀杏の葉っぱは何故秋になると落ちてしまうのか。それは、銀杏の枝につながれた細い部分の中の遺伝子が、死の季節を感じ取り枝から落ちていくことを知っているからだ。」


いかに生きるか、いかに死ぬか。
それは、例え悲惨な事故にあって死んだとしても、どのように生きてきたのか、ということに集約された言葉だと思います。死は生まれたときから始まっているのですから。


白い椿は・・・多田さんが白洲正子さんを譬えた花です。

散る時は潔く。媚びる必要のない、凛とした美。
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by umih1 | 2009-02-24 00:03 |
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